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「祈りの技術」について

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今回の記事はセンシティブな話しとなりますので、ご了承下さい。

自分は特定の宗教には属していませんが、人智の及ばない全ての根源的な始まりで有る「神の様な存在」が居るとは感じており、その存在に対して祈る事は有ります。

何故この様な事を述べたかと言うと、最近特定の「祈りの手順」を毎日決まった時間に実践しているのですが、自分のスピリチュアル指南書とも言うべき書籍「Journeys Out of the Body ロバート・モンロー 体外への旅」に記載されていた下記の考察を思い出した事に有ります。

ロバート・モンロー氏の祈りに対する考察

何百年もの間に誤って(祈り方)伝わっているという可能性もある。

祈りは神との直接の対話だと考えられている。それはまるで成分の本来の意味を知らないで化学式を唱えるようなものだ。また、子どもたちがもともとの意味を知らないで、「ロンドン橋が落ちた」と歌うのにも似ている。我々の文明はこういった不合理な習慣で満ちている。祈りは明らかにそのうちのひとつである。

祈る方法を知っている者がいつかどこかにいたのだろう。そしてほかの人に教えようとした。

何人かが方法を学んだ。それ以外の人は単に言葉だけを取り入れた。そして、言葉そのものは年を重ねるにしたがって変わっていった。決第に祈りの技術は分からなくなってしまったが、時代が移るなかで一定の期間をおいて偶然(?)再発見された。そうした場合、再発見した者が、「昔からの確立された方法」はどうもおかしいと他人を納得させることなどほとんどできないまま、ここまできたのだ。

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体外への旅 第8章 聖書に従えば

最近「特定の祈りの手順」を実践していると述べましたが、以前実践していた別の手順と比較すると、明らかに感覚的に違いを感じています。モンロー氏の考察に従うと、本来の祈りの手順に近づいた可能性も考えられるかも知れません。

なお実践している「特定の祈りの手順」については、確証と保証ができないためここでは述べませんが、所作よりも意識の向け方が重要なものです。