体外離脱で実験を行う難しさ

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約半年前ほどに父が「心筋梗塞」で入院しましたが、ここ最近何だか「動悸」がすると言っていたので先日診察に行ったところ、明日から検査入院をする事となりました。どうやら一部の血管に詰まりが見受けられるそうです。前回の様な緊急性は有りませんが、やはり心配です(◞‸◟)

さて本日は久々に、ららぽーとのムービックスで映画を観ました。タイトルは「ヴェノム」で、ゴリゴリなアクション映画です。
映画本編の感想はネタバレになってしまうので置いておいて、視聴中に感じた事を述べたいと思います。何と言うか今の時代は、多くの娯楽が大量に生産・消費されており、逆にあらゆる娯楽がマンネリ化している様な気がするなぁ、と映画を観ていてふと頭に思い浮かびました。

物凄く大げさな話ですが、スピリチュアル系の書籍で良く提唱されている「人類全体の意識変革」は確かにいずれは必要なのかもしれません。
とは言え、「アセンション」と言う言葉は、個人的には何だか気持ち悪くて好きでは有りません。何と言いますか、「選民思考的」な物を強く感じてしまいます。

それと体外離脱を実践している身として感じた事なのですが、ヴェノムの激しいアクションシーンを観ていて、体外離脱中の第二の体(アストラル体)で、あの様な、めまぐるしいスピードで動く事は可能なのだろうか?、でした。過去に数回だけ空中飛行中に、自分の頭頂部の位置に時計盤の12時をイメージし、秒針を動かす感じで高速飛行を成功させる事が出来た事はあります。

恐らく第二の体(アストラル体)で、アクション映画ばりの激しい動きは可能だと思うのですが、それを確認するには一つ問題があります。


思考の変化現象

それは、普段(日常生活時)と第二の体(離脱中)では、思考の仕方に差異が発生する点です。
何回か離脱してきて確信したのですが、離脱前に計画していた実験も、離脱中は実施する気になれない事が多々有りました。

過去に数回は計画通り実験を実施する事は出来ていますが、大抵の場合は「実験自体がどうでも良い事」と感じてしまい、離脱前と意識こそ連続しているのですが、有る意味別人格でも有り、結局好き勝手に壁抜けしたり浮遊をして過ごしてしまいます。

その為、余程強く離脱前に意識してないと、実験の成功は難しいのが現状です(−_−;)